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小松 (料亭)[こまつ]
小松(こまつ)は、神奈川県横須賀市の米が浜通にある料亭である。1885年(明治18年)の開業以来、大日本帝国海軍の多くの海軍軍人に愛好された料亭として知られ、戦後は在日アメリカ海軍、海上自衛隊関係者に広く利用されてきた歴史から、海軍料亭小松と呼ばれている。 == 概要 ==
小松は1885年(明治18年)8月8日に、創業者山本コマツによって横須賀田戸の白砂青松の海岸沿いに開業した〔横須賀市(2009)p.287〕。開業当初は白砂青松の海岸で海水浴を楽しんだ後に、入浴と食事を楽しむ割烹旅館であったと考えられるが、日本が海軍力の増強に努め、日清戦争、日露戦争に勝利し、横須賀鎮守府の機能が拡大していく中で、海軍軍人相手の海軍料亭になっていった。小松を利用する海軍軍人たちは、小松の松にちなんでパインと呼ぶようになった〔外山(1983)p.1〕。 小松が立地していた田戸海岸は、1913年(大正2年)に埋め立てが行なわれたため、小松は海岸線から離れてしまい、白砂青松の景勝地に立地しているという魅力を失った。その上第一次世界大戦終了後の恐慌と、恐慌に伴い横須賀市で発生した娼妓の待遇改善を求めるストライキのため、1918年(大正7年)から1919年(大正8年)頃、いったん休業せざるを得なくなった〔水野、藤谷、南(2003)p.669、横須賀市(2009)pp.287-288〕。1923年(大正12年)になって、当時は風光明媚であった現在の米が浜の地に新たに店舗を建て、小松は営業を再開した〔水野、藤谷、南(2003)p.669、横須賀市(2009)p.288〕。 第二次世界大戦時には、第四艦隊司令長官の井上成美の要請により、1942年(昭和17年)から1944年(昭和19年)にかけて、トラック諸島に支店であるトラック・パインが開設された〔浅田(1996)pp.66-71〕。1945年(昭和20年)8月15日の終戦後、小松はいったん閉店され、横須賀に進駐した連合軍によって横須賀鎮守府から退去させられた鎮守府関係者の残務整理のための事務所や、外務省通訳の宿舎となったが、1945年(昭和20年)10月にはGHQ指定料理店となり、横須賀に進駐した主に米兵相手の飲食業を営むようになった〔水野、藤谷、南(2003)p.669、外山(1983)pp.286-288〕。 1952年(昭和27年)のサンフランシスコ講和条約と日米安全保障条約が発効後は、小松は横須賀海軍施設の米海軍軍人、そして海上自衛隊、旧海軍関係者らに広く利用されるようになった〔外山(1983)pp.291-299、浅田(1996)pp.201-209〕。現在もかつて横須賀市内に多数存在した海軍ゆかりの料亭の中で唯一営業を継続しており、大正、昭和初期の近代和風建築を今に伝えるとともに、東郷平八郎、山本五十六、米内光政らの書など、多くの日本海軍関係の資料を保有していて、料亭小松は近代日本海軍の歴史を伝える重要な存在となっている〔神奈川県教育委員会(2000)p.41、水野、藤谷、南(2003)p.670、横須賀市(2009)p.288〕。
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